2004.6
バックナンバー
2001.2-2004.3
2004.4-
next TOP back
|
6月29日(火) 春のドラマ考C…仔犬のワルツを理解する。
|
そうか!そうだったのか!
野島伸司はなっちにそれを言わせたかったのか…。
「音楽が希望を奪うなんて…」
「それがなかったら私は他人を憎み、自分を憎んだでしょう。
ピアノがあったから、音楽があったから、私は勇気づけられ、救われたの。
そして教わったの…憎むよりも愛することを…」
巷でささやかれていた野島伸司は安倍なつみのファンというのは本当かもしれない。
そう思わないとこのドラマを理解することは不可能なのだ。
あえて深読みをする。
なっちファンなら彼女が中学時代に絶望的ないじめにあっていたことを知っている。
あまりにも有名な安倍なつみ命名の松ぼっくり事件。
本気で死まで考えたという少女を救ったのはラジオから流れてきた音楽だった。
JUDY AND MARYの“小さな頃から”という一曲が安倍なつみを救った。
だからいつもなっちは歌を歌うことに人一倍のこだわりを見せる。
ことあるごとに「心ある歌を届けたい」と言っているのがその証拠だ。
女優安倍なつみを委託されながら結局はそのドラマを成功に導けなかったのは野島伸司の責任だ。
確かに企画参加のドラマであるから、脚本も書いていなかったし、現場での指示もなかっただろう。
それでも野島伸司という冠がついた以上は、視聴者はすべてに期待をする。
そして最後は自身で最終話の脚本を書き下ろすことですべての責任を取った。
最後まで解明されない物語の謎や入り組んだまま放置された数々のプロットを一気に収束へと向かわせた。
野島伸司らしからぬ強引な脚本も急場しのぎだったと考えれば納得できる。
物語のラストの展開はあえて触れまい。
おそらく多くの視聴者が臨んだであろう野島伸司的な終焉を破綻なく見せるにはあの方法しかなかった。
「仔犬のワルツ」が最初から破綻していたことは以前にも触れた。
ヒロイン桜木葉音の物語を描き切れなかったのは、脚本家の技量のなさと無関係ではないだろう。
絶望から救済へ、そして生と死のせめぎ合い、何が正しくて何が間違っていたのか。
整理するものはそうは多くなかった。
それを分かりにくくしたのは不必要に投入された登場人物たちの存在だった。
物語は葉音をめぐる物語からあっという間に乖離し、気づいたときは収拾がつかなくなっていた。
葉音の絶望も憎しみも何も描かれないまま進むストーリー。
パーフェクトピッチゆえの悲しみや、盲目であることによる心のゆがみ、それすらも全く描かれない。
かといって葉音の心の叫びが挿入されるわけでもなく、彼女はひたすら天使のように語るだけ。
その葉音が実はデビルかもしれないという無茶苦茶の推論は最後まで放置されたまま。
そもそも天使と悪魔などという類型的な構図はこのドラマには最初から必要ではなかった。
全編を彩る大人たちのエゴイズムと無機質な顔を持った芯也の言葉の数々。
それらは物語の伏線にすらならず、毎回毎回ドラマの中でただ放り出されてそのまま忘れ去られる。
結局は葉音が最後まで存在しない物語だけが勝手に進行していく。
謎は謎にならず、毎回ただの断片的な事実として物語の中に埋没していく。
いうならばこのドラマそのものに全く希望の欠片もなく、視聴者がひたすら絶望していくだけ。
実際に最終話オンエア後の公式HPにはほとんど理解不能という書き込みばかりが続く。
こんな掲示板を見るのはちょっと異様だ。
それをそのまま視聴者の意見としてトレースしていくHP管理者の苦渋の顔が思い浮かぶようだ。
最終話オンエアの翌日、ハロモニ。でのなっちの笑顔にどれだけ救われたことか…。
|
|
6月27日(日) 映画館が消えてゆく。
|
映画「ほたるの星」が現在全国の映画館で順次上映中だ。
この作品そのものは昨年の東京国際映画祭ですでに見ている。
山口県の小学校を舞台にした実話を元にオール山口県ロケで映画化。
メガホンをとったのは菅原浩志監督。
監督デビュー作は1988年の「ぼくらの七日間戦争」(当時は比呂志)。
今どきの中学生が教師たちの管理教育に反旗を翻す痛快な映画だった。
主演は人気美少女アイドルだった宮沢りえでこれが映画デビュー作。
共演には工藤夕貴の実弟の工藤正貴や子役でも人気だった安孫子里香など。
当時の都会的なローティーンスターたちを総動員したキッズムービーだった。
「ほたるの星」はハロー!プロジェクト・キッズの菅谷梨沙子が事実上の主演。
その同級生役で同じハロプロ・キッズの熊井友理奈と岡井千聖が共演した。
しかしそれ以外の小学生はすべて現地でのオーディションで選んだと聞く。
「ぼくらの七日間戦争」から15年を経てもいじめや荒れる学校など教育問題は昔も今も変わらない。
最近では小学生による同級生殺人がセンセーショナルな問題として国民の関心を煽った。
そんな世の中だからこそ、この映画のような純粋に子供とともに生きることを考える物語は胸をうつ。
その「ほたるの星」の都内でのメイン上映館が新宿東口の新宿武蔵野館だ。
この土曜日、その新宿武蔵野館に行った仲間から満席で次の上映回に回されたとの報告があった。
満員御礼なのはよいことだと喜んだが、その理由が座席が84席しかないためだと聞いて耳を疑った。
そんなバカな…もう何年もあの映画館には行っていないが500席はあったはずだ。
急いでネットで情報を収集した。
新宿武蔵野館はいつの間にか全館を3分割した複合映画館に生まれ変わっていたのだ。
その最少キャパの武蔵野館3で「ほたるの星」は上映されていた。
学生時代に東京暮らしをしていたので、よく新宿や池袋界隈の映画館に足を運んだ。
地方から上京していた者にとっては、都内の大劇場のスクリーンで見る映画は胸踊るものがあった。
しかも一方では多数の名画座が路地裏に点在し、小銭だけで2本立て映画が楽しめた。
学生の身分のため、招待券の懸賞や試写会などにもこまめに応募してたくさん映画を見た。
一年間で100本くらいは見ていたと思う。
その後東京から地元に戻ると異常な現象が起きていた。
市内に二つあった大型映画館がいつの間にかスクリーンを分割して上映本数を増やしていたのだ。
最初の内は東京に及ばないまでもたくさんの映画を見るチャンスが出来たと喜んだ。
事実スクリーン数は上京前の倍になっていた。
しかしそれが映画産業斜陽の結果だと知ったのはしばらく経ってからだった。
今まで地方では当たり前のように二本立て興行が行われていた。
それを一本ずつ別々のスクリーンかけるという現状は入場料金の分割を意味する。
ロードショースタイルといえば聞こえがいいが、映画館の環境は地方では劣悪極まりない。
同じ一本分の料金を払って二度も足を運ばなくてはならない。
結果的に上映本数は増えても観客は作品を選んで見ることになるので相対的な映画人口は変わらない。
また地方の場合、車での移動がメインのため駐車場料金が足かせになる。
いくつかの映画館は駐車券の提示で入場料金割引というシステムを導入したがこれも焼け石に水だった。
自分もやがて安価で一日定額で止められる駐車場がある隣の市の映画館に通うようになる。
ここならば仮に一日に何本かはしごしても駐車料金の心配はしなくてすんだ。
その後レンタルビデオの普及で映画興行は完全に行き詰るのはご存知の通り。
高い映画料金を払わなくても数ヵ月後には安価でその映画が見られるのは確かに魅力には違いない。
それでも都会では映画館は頑張っていた。
地方と同じくスクリーンの分割で様々な映画を上映することも可能だった。
いわゆるVシネマのスクリーン経由のリリースやミニシアターブームでなんとか作品の供給は続いた。
その草分け的存在だったのが新宿東映会館だった。
新宿三丁目にドンと構えたその建物は古き良き時代の映画館の佇まいがあった。
この映画館では、洋画系作品専門上映館だった新宿東映パラスを1978年には3分割している。
しかもそのパラス3に至っては座席数わずか48というまさに物置小屋劇場だ。
初めてこの映画館に入ったのは周防正行監督の「シコふんじゃった。」のムーブオーバーだった。
ムーブオーバーとは上映期間を過ぎた好評作品を2番館3番館と下級のスクリーンで続映することだ。
要はロードショーの延長での上映がメインの映画館だった。
新宿武蔵野館3のキャパ84という話を聞いて真っ先にこの映画館を思い出した。
そしてネットで上映作品を調べたところ、今年の1月で閉館の文字に青ざめた。
有楽町の本社ビルよりも映画館らしい雰囲気があった東映の都内でのメイン劇場だったのだ。
ここでは昨年の秋、「青春バカちん料理塾」と「17才旅立ちのふたり」の二本立てを見ている。
公開前には主演の後藤真希・石川梨華・藤本美貴が揃っての特別試写会もあった。
遡る2000年にはモーニング娘。初の本格主演映画「モー娘。走る!ピンチランナー」の初日を見た。
最後の7人のモーニング娘。の初日舞台挨拶見たさに前夜から近くのホテルに泊まりこんだ。
あの映画館はもうない…それが信じられなかった。
今回は興行的行き詰まりではなく一帯の都市開発のためらしいが悲しいことには変わりはない。
各映画館が必死で新しい興行形態を模索する中、ここにきて映画館を取り巻く環境が一変してくる。
ここ数年のハリウッドの大作ブームで一気に映画人口が劇場に戻ってきたのだ。
同時にシネマコンプレックス(シネコン)の普及でスクリーン数も増加していく。
多様な複合施設の中に映画館を収めることで、映画がレジャーの枠組として見直されたのだろう。
その一方で新宿武蔵野館のように多スクリーン化で興行を続けてきた映画館は厳しい経営を強いられる。
同じ料金を払って好きな映画を好きなときにしかも大きなスクリーンとゆったりとした座席で見られる。
シネコンの魅力は確実に映画ファンの嗜好にマッチした。
地方ではもう一度映画館を街に甦らせようという動きが進んでいる。
実際に隣の市ではミニシアターの設立にゴーサインが出たらしい。
しかしそれはいわゆる映画ファンには朗報だろうが、一般的な観客にはあまり興味のない形態でもある。
映画がエンターテインメントの雄である以上、より幅広い支持層が集ってこそその意味がある。
難しい選択である。
都内最大の映画スペースとなっていた有楽町マリオンも知らないうちにシネコンスタイルに変貌していた。
あの日本劇場も関連3館を日劇PLEXとしてリニューアルしている。
1984年の秋、幕開け上映となった「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」を見た。
座席数1000席余の圧倒的な空間と巨大なスクリーン、そしてふかふかの赤い絨毯を思い出す。
日本劇場がまだ日本屈指の音楽ホールとして栄えていた時期は知らない。
都市開発の流れで1981年に閉館するその直前に一度だけそのステージを体験したことがある。
ホリプロ所属のアイドル歌手だった榊原郁恵のコンサートだった。
手元に当時のパンフレットが残っている。
公演期間は1979年3月31日から4月4日までの5日間の春休み興行だった。
タイトルは「あなたと郁恵とナッキーと 榊原郁恵 ブランニュー・スマイル・スペシャル」。
主演ドラマだった「ナッキーはつむじ風」のミュージカル仕立ての舞台と歌謡ショーの2部構成。
お芝居とヒットパレードの二本立てという構成は今のモーニング娘。のミュージカルにも通じる。
ちなみに当時の日本劇場のキャパシティは1階1060席2階544席の計1604席だった。
最盛期には9スクリーンあった地元の映画館は2004年現在テアトル西友系の2スクリーンのみになった。
同様に最大で10スクリーンあった隣の市ではすべての映画館がその使命を終えた。
代わりに駅前に進出したシネコンは8スクリーンを擁して連日賑わっている。
|
|
6月26日(土) 松浦さんが18歳になった。
|
6月25日、松浦亜弥18回目の誕生日おめでとう。
そうかぁ〜松浦さんが18歳になるんだぁ〜。
もうこの辺の年代になると若さがうらやましいとか、あの頃に戻りたいとか、そんなことも思わない。
もう遠くかすんだ自分にとっての18歳の頃…少なくともこんなにキラキラ輝いた18歳ではなかった。
そういえば松浦さんのことをちゃんと話すのはずいぶん久し振りな気がする。
今年の2月9日付の当コラム「松浦亜弥ひとつの到達点…奇蹟の香りダンス。」以来かな。
このときのタイトルがとっくに色褪せていることはあえて触れまい。
アーティスト松浦亜弥の進化のスピードは驚きを通り越して、まさに神がかり的に加速している。
そのことが改めて証明されたのは先日放送されたNHKの「夢・音楽館」という番組。
女優桃井かおりがホステスを務める、大人のための音楽プログラムに登場した松浦亜弥。
番組史上最年少のゲストだというが、そのパフォーマンスは優に大人の鑑賞に耐えうるものだった。
ジャジーにアレンジされた“ね〜え?”のキュートさは奇跡的だった。
大幅なアレンジにもかかわらず、天下無敵のあややワールドは微塵も薄れることはなかった。
むしろ新しい音楽空間の中でさらに伸び伸びと自己表現を追及している姿を見てプロだなと思った。
桃井かおりとのトークの中で、なぜこの番組に彼女が呼ばれたかを説明する場面がある。
抜群に歌がうまいから…というスタッフの声があったという。
「すごいうれしいですね…いちばんうれしいです」
そう笑って答える彼女の笑顔は今まで見たことがないくらいに素敵に輝いていた。
このときに松浦亜弥は本当に幸福な歌手だなと実感した。
なかなか面と向かってそんな話を聞かせてもらえる歌手はいないだろう。
このあと番組ではあの昭和の名曲である笠置シヅ子の“買い物ブギ”を生バンドをバックに歌う。
大胆にアレンジされたこの曲を見事に歌いこなしたこともゲストのアレンジャーから絶賛される。
また半音下げてアレンジされたジャジーな“ドッキドキ!LOVEメール”も高評価を受ける。
それどころか半音下げて歌うという難しい作業を「全然大丈夫…」と言ってのけた。
松浦亜弥は本物のプロフェッショナルだった。
以前プロデューサーであるつんく♂は、松浦亜弥は天才型だという趣旨の発言をしていた。
何を与えてもその課題をいともたやすくクリアしてしまうという。
松浦亜弥の新曲は毎回がデビュー作だとつんく♂自身が明言することの意味がよく分かる。
さらに番組のトークで印象的な場面があった。
「目の印象が強いよね…」
「チャームポイントだと思っています…」
「いい感じ〜自分でちゃんと言えるのね〜よっしゃよ」
桃井かおりがじっと自分の目を見てそう語るのを待ってましたという顔でストレートに肯定したあやや。
そのときの彼女のキラキラした瞳が忘れられない。
究極の自己愛を貫く松浦亜弥の真骨頂を見た気がした。
18歳の誕生日を記念して写真集「アロハロ!2/松浦亜弥」がこの日発売された。
「アロハロ!/松浦亜弥」から一年半、さらに進化したあややの今がそこには焼き付けられている。
しかも彼女の写真集は水着写真のオンパレードながら、けれんみがまったくない。
写真集だからかっこよく決めようとか、よりセクシーに見せようとかいう思惑は微塵も感じない。
もちろんカメラマンの要請でいろいろなポーズや表情をとるのは当然なのだがそれが見えない。
私のすべてを見て!そして楽しんで!
そんな声がページをめくるたびに耳に飛び込んでくるような痛快な写真集だ。
そして何よりも魅力的なのは彼女のものの見事なパーフェクトボディ。
いや、別に俗っぽい意味でそういうのではない。
間もなく18歳になる松浦亜弥のすべてを惜しげもなく太陽と青い空の下に差し出した究極の肉体。
これが若さというものか…。
悔しかったら奪ってみな!とでもいうかのようにページをめくるたびにさらりと逃げて交わす。
この肉体はすべてはあややのもの…誰にもあげないよ!
そこにもまた彼女の自己愛のひとつの形が見えてくる。
進化し続ける18歳。
松浦亜弥の時代はまだまだこれからだ。
|
|
6月24日(木) 和製ヒーロー&ヒロイン・ムービーに明日はあるのか?A
|
話は前回の続き…。
でもって「CASSHERN」で懲りたはずなのに悪評も多い実写版「キューティーハニー」を見た。
正式には「CUTIE HONEY キューティーハニー」と題されたこの作品。
とりあえず見ようと思ったのは上映時間がちょうど90分程度だったからかもしれない。
本編上映前に「ポータブル空港」なる短編アニメがついてジャスト100分の上映時間だった。
結果からいえば、かなり面白かったと思う。
驚いたのはこの作品の配給が世界のワーナーブラザースだということ。
ちなみに現在上映中の「トロイ」や話題の「ハリーポッター」シリーズもタイムワーナー社配給だ。
「キューティーハニー」は1973年の永井豪原作のアニメーション作品が原点だ。
当時は新しい試みとして土曜の夜8時30分放映開始という異例のプログラムだった。
これまでは子供向けのヒーロードラマといえば夜7時台が中心だった。
それをあえて8時台に移動することでより大人の鑑賞に耐えうる作品提供が模索された。
ちなみに8時からの30分は「人造人間キカイダー」シリーズが放送されていた。
ここでは「仮面ライダー」シリーズよりは怪奇性が増し、人間ドラマとしての側面も強調された。
ヒーローが善と悪の間で苦しむ良心回路の設定などが斬新だった。
「キューティーハニー」は原作が「ハレンチ学園」の永井豪ということでかなりアダルトな作品だった。
そもそもヒロインである如月ハニーが変身するときに衣服が避け、一瞬裸体になることも話題になった。
当然ストーリーやキャラクター設定にもその辺のエロチシズムが徹底されていた。
なお同じ放送枠では前年にやはり永井豪原作の「デビルマン」も放映されている。
映画化された「CUTIE HONEY キューティーハニー」には公開前から問題はあった。
まずヒロインのハニー役がサトエリこと佐藤江梨子だということで注目を浴びた。
その完璧なボディはなるほどハニー向きだろうが、如何せん若さという意味ではやや無理もある。
少なくとも原作のイメージとは程遠いキャスティングにオリジナルのファンは苛立ったことだろう。
また監督がアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」で一時代を築いた庵野秀明というのも不安があった。
ファンにとっては興味津々なのだろうが、やはり実写映画で実績のある監督に撮って欲しい。
デジタルコミック・シネマなるキャッチコピーも気になった。
きっとアニメ畑出身の監督が好き放題に遊んだ映画になってしまうのではないか。
「CASSHERN」のような方向性にはいかないだろうが、果たしてまともな映画になるのか。
キャラクターという意味ではやはりサトエリは役不足だったかもしれない。
演技の面でも全体的にコメディテイストが強調されすぎたので損をした部分もあるだろう。
正直、見ていて観客を舐めているとしか思えない演出はやや辛抱が要る。
それでも最後まで楽しめたのは、そのキャラクターをスクリーンの中で自由に遊ばせたせいだろう。
期待していたのはこの作品のヒロインがいわゆる異形のヒーローではないこと。
オリジナル版のハニーは空中元素固定装置の作動で変身するが、映画ではIシステムと置き換えられる。
ハニーの変身はいわゆる変化(へんげ)ではなく、完全なるコスプレのようなもの。
つまり変身したあとも基本的にハニーはハニーの容姿のままである。
このあたりに実はこの作品が実写版映画として成立しえた理由がある気がする。
スーパーマン。
バットマン。
スパイダーマン。
ハリウッド製ヒーローだ。
いずれも映画も大ヒットした。
その共通項は…。
変身後も生身の肉体である。
正確には違うのだろう。
しかし見た目には変わらない。
身近なヒーロー像である。
変身といっても基本的にはいずれも覆面やボディスーツで体を隠すだけだ。
またこれらの作品が支持されるまでにはそれなりの過程を経て映画化に至っている。
アメリカンコミックからテレビ映画もしくはテレビアニメ化によって人気に拍車がかかる。
そして満を持しての映画化は一流のキャスティングやスタッフによって話題作として実現する。
それを期に主演俳優のネームバリューも上がり、ハリウッド全体が活況を呈する。
この夏公開の「スパイダーマン2」も早くも日本でも話題沸騰となっている。
大々的なプロモーション展開が早い時期から展開されここに至っている。
もっともこのシリーズの第一作は若干チープさが漂う作品であったのはご愛嬌か。
アメリカンコミックのヒーローたちはまるでそのまま紙面から抜け出したようなイメージがする。
それだけ原作を多くのファンが支持してきたことを作り手も分かっているからだろう。
まずはより身近なヒーローとして登場し、普段はどことなく人間臭さも漂わせる。
その辺の割り切りのよさが作品の物語の世界観をよりストレートに伝えることになった。
日本のヒーロー&ヒロインものは前回も考察したように基本的には被り物で生身の姿を隠す。
したがってヒーロー像を作りあげるのは簡単だが、なかなかそこから先のイメージが広がらない。
フルフェイスの変身だから、なんでもありだ…というような勘違いもまたそこには生まれる。
キャシャーンもハニーも基本的には生身の人間の姿で悪と闘う。
そこにはきっと実写版ならではの新しいイマジネーションの展開があると思っていた。
実写版でなければ不可能な生身のヒーロー像が闘うさまをスクリーンに焼きつけて欲しかった。
映画「CASSHERN」ではそれは裏切られた。
ヒーローではなく、スクリーンの向こうの作家が語りすぎた。
「CUTIE HONEY キューティーハニー」では作家は語らない。
その代わりに徹底してスクリーンで遊ぶ。
そのさじ加減が微妙なので、乗れないとそのままおいていかれてしまうかもしれない。
特にサトエリハニーに拒否反応の大きい人にはひたすら辛い90分だろう。
さてこの秋には満を持して実写版の「デビルマン」が公開される。
監督はあのモーニング娘。主演の大勘違いムービー「ピンチランナー」の那須博之。
脚本を細君である那須真知子が手掛けるのも話題だ。
那須監督には「ビー・バップ・ハイスクール」時代の破天荒さを取り戻して欲しい。
那須脚本には久し振りの愛のドラマを期待しよう。
不安といえば主演が人気男性アイドルユニットFLAMEのメンバーだということか…。
ゲスト出演にボブ・サップの名もあるだけに、大味な作品になる危険性もはらんでいる。
しかし映画を見ていて思った。
あの「NHK紅白歌合戦」のショーコーナーで実現したミキティハニーは完璧だったのではないか。
確かにぺちゃパイハニーは味気ないだろうが、少なくとも如月ハニー的ではあった。
そういえば藤本美貴ファーストライブのときの記事が思い出される。
「…2曲目の『そっと口づけてギュッと抱きしめて』では、
キューティーハニーのようにドレスが半分に引き裂かれ、ミニのワンピース姿に変身。」
そんな文字が記事には躍っていた。
そういえばハロプロとハニーとサトエリをめぐる話題をもうひとつ
サトエリとなっちが大の親友だという話がある。
実際にその通りなのだというが、この二人の共通点が分からなかった。
まあ二人ともそこそこ芸能界には長いので共通の友人も多いだろう。
特になっちは昔から娘。以外の交友が広いことでも有名だ。
例の火遊びはともかくとして意外な芸能人と仲良かったりする。
デビューして間もなくは加藤あいとメル友だったという。
娘。的にはいろいろあった篠原ともえとの交流も長く続いているらしい。
また女優鈴木杏樹との交友も長いようだが二人の接点もいまいち分からない。
今回のドラマ主演でまた新しい交友範囲も広がったことだろう。
「CUTIE HONEY キューティーハニー」の資料を見ていたらなっちとサトエリの接点が分かった。
実は二人とも同い年だったのだ。もっともサトエリのプロフィールが正しいという前提だが…。
安倍なつみ:1981年8月10日生まれ、身長152cm(デビュー時の公表)、A型。
佐藤江梨子:1981年12月19日生まれ、身長173cm(最新HPでの公表)、AB型。
身長差20cmもすごいが、なんとなっちの方がお姉さんだったりする。
ちなみにサトエリの誕生日が自分と一日違いだったことを知り妙に親近感を覚えてしまった。
|
|
6月23日(水) 和製ヒーロー&ヒロイン・ムービーに明日はあるのか?
|
一ヶ月ほど前に映画「CASSHERN」を見たとき、そのあまりの体たらくぶりに激しく絶望した。
もう日本映画でヒーローものを作って欲しくないとさえ思った。
かつてお茶の間で人気を博したテレビアニメーション「新造人間キャシャーン」が映画化される。
そのニュースを初めて耳にしたときは正直小躍りさえした。
しかしその監督が宇多田ヒカルの夫で映像クリエーターの紀里谷和明氏だと聞いて嫌な予感がした。
映画のプロではない映像のプロが作るエンターテイメントムービーには期待よりも不安が先行した。
案の定提供された作品はエンターテイメントの欠片もない、監督の思い込みに支配されたものだった。
以前にも当コラムで語ったが、映像作家が饒舌になりすぎる映画は間違いなく失敗する。
図らずも映画「CASSHERN」は期待していたものとは大きくかけ離れる作品だった。
もちろん一方ではこの映画を絶賛する声も少なくない。
それは圧倒的なCG映像を駆使した近未来の世界観に共感したものが多かったように思う。
つまり映像としては見るべきものがあったが、映画としては破綻していたということかもしれない。
例えば「マトリックス」シリーズの続編で感じたような疎外感を意識しなければ面白いのかもしれない。
それはなぜそこまでCGにこだわって生身の人間を描こうとしないのかという単純な疑問。
物語の骨子が見えてこないのにいくら映像でひきつけようとしても140分を耐えるのは厳しい。
キャラクターの魅力のなさも問題だった。
ファンが見たいのはあのキャシャーンがスクリーンを縦横無尽に駆け回るヒーロームービーだった。
ところが実際は前半でアンドロイドを鉄拳で真っ二つにするあの場面だけでそれは終わる。
もっとかっこよくスクリーンで展開するはずのアクションシーンはほとんどない。
悩める新造人間の心象風景にすべては集約されていく。
それにしてもどうして日本映画はこうも既存のキャラクターの映像化が下手なのだろうか。
イマジネーションは働くがそれが映像化できないという問題はどこにあるのか。
おそらくきっとそれは勧善懲悪ものを良しとしない悪しき習慣のなせる業ではないのか。
ただ正義のために殺しあうことにヒーローも悩んでいるんだ…それをどこかで描きたいのだろう。
そんなキレイゴトは必要ない。
映画はフィクションであるのだから徹底してヒロイズムをスクリーンに焼き付ければいいのだ。
そんな日本の映像作家のもつある種のアンチヒロイズムの萌芽はすでに30年以上前に遡る。
おそらく日本の特撮ヒーローものの原型にあるのは仮面ライダーだろう。
そこにあるのは異形のセンチメンタリズムとでもいうべきものだったかもしれない。
「仮面ライダー」シリーズは故石ノ森章太郎氏が原作を手掛けた特撮ヒーローアクションドラマだ。
石ノ森氏の描くヒーローはそのほとんどが自身が悪と闘う宿命を背負ったことに疑問を感じている。
その形態が改造人間だったり、サイボーグだったり、人造人間だったりするが基本的には同じだ。
なぜ自分が闘わなくてはならないのかという疑問を常に持っている主人公たち。
しかしいざというときには無敵のヒーローに変身することでそのすべてを肯定して闘う。
初期の「仮面ライダー」シリーズには確かにその悲しみがにじみ出ていた。
しかしシリーズが人気を博し、次々と新しいヒーローが誕生する中でその大義名分は希薄になる。
つまり単純に勧善懲悪のエンターテイメント作品として確立していくことになる。
結果としてそこにはおとなの鑑賞に堪えうるだけの物語としての深さがなくなっていく。
初期のシリーズの着地点である「仮面ライダーストロンガー」は明らかに子供向けの作品だった。
こうして特撮ヒーローアクションものは段々と現実に起こる様々な事件や人の業の中に埋没していく。
そしてシリーズも終止符が打たれる。
4年のインターバルののちにシリーズが再開。
空飛ぶライダーとしてスカイライダー登場。
しかし新シリーズは2作で休止となった。
やがて新しいヒーローの時代となる。
「仮面ライダーBLACK」でブーム再燃。
今のシリーズに通じるリアル路線が敷かれる。
ストイックでカッコいいライダー。
物語は再び悩める改造人間を描いていく。
しかしこのシリーズも2作で終演を迎える。
そしてライダーの活躍の場も変わっていく。
テレビシリーズからオリジナルビデオ作品へと製作の場は移り、より新しいライダー像の模索が始まる。
そこで原点回帰ということで作品本来の持っていた怪奇性を推し進めた作品が登場する。
それが「真仮面ライダー序章」だった。
この作品ではさらにリアリティを追求する中で、仮面ライダーそのものが異形の存在として描かれる。
あくまでもヒーローではなく化け物としてのライダーの登場だった。
その後「仮面ライダー」シリーズは「仮面ライダークウガ」でテレビの世界に戻ってくる。
徹底してヒーロー像を明確にしてより人間的な魅力も加味した新ライダーは斬新だった。
さらに現在のシリーズではイケメン俳優の登竜門とされ、新しいファン層も獲得している。
特撮ヒーローものではもう一方の雄である「ウルトラマン」シリーズも同様に紆余曲折があった。
ただし巨大ヒーローものということで徹底したSF展開で今日に至っている。
ここ数年は完全に子供向けの展開となっていることでは同じような流れできている。
初期のシリーズとしては「ウルトラマンレオ」でひとまず終了している。
その後「ウルトラマン80」で復活するもブームまでは至らず、円谷プロの衰勢にも影響される。
一時期はアニメーション作品や外国資本に版権を売っての新作発表と苦渋の時代が続く。
「ウルトラマンティガ」からは新しいファン層をターゲットにシリーズが再開されて話題になった。
そのウルトラマンが映画で帰ってくる。
しかも円谷プロの威信をかけた大作になるようだ。
タイトルもずばり「ULTARAMAN」。
松竹系で2005年の公開予定らしい。
ついに真打ち登場か…。
果たして本物のヒーロー映画の誕生となるか。
もしこの作品が失敗したら…。
もうヒーロー・ムービーの復権はない。
そのくらいの覚悟で作品を送り出して欲しい。
|
|
6月21日(月) 1000000人のキャンドルナイト…夏至。
|
昨夜なにげにNHKニュースを見ていたら、いきなりエコモニ。が登場した。
何ごとかと思ったが「CO2削減・百万人の環」キャンペーンの話題だった。
一年で一番昼間の長いこの夏至までの3日間、各地で地球温暖化に関するある運動が展開された。
「1000000人のキャンドルナイト」と題されたこの運動では電気を消そうという呼びかけが行われた。
6月19日から今日21日までの3日間、夜8時から10時まで積極的に消灯しようという呼びかけだった。
全国各地で展開されたこのイベントの象徴として、20日の夜に東京タワーの消灯式があった。
そこに登場したのがエコモニ。の二人だった。
これは同イベントの公式サイトでもイベント開催のそのときまで明らかになっていなかった。
おそらく一般のモーニング娘。ファンの集結による混乱を避けたかったのだろう。
HPでも各界からの参加者も加わってのセレモニーというだけで出演者は明記されていない。
メイン会場への入場は限定250名で、当日18時より受付にて整理券を配布したということだ。
同じ日モーニング娘。たちは18時まで遠く離れた幕張のイベント会場に参加していた。
これでは仮に直前に情報を押さえたとしても、ファンの移動もまず不可能だったろう。
この動きを受けてこの週末は全国各地でも様々な対応やイベントが開催されたようだ。
石川県でコンサートを開催していたMr.Childrenはアンコールのときに場内の照明を落とした。
ステージにはキャンドルライトが灯され、幻想的なライブ空間の中で一曲歌ったという。
一般的には地球温暖化の問題はいつから大きく取り上げられるようになったのだろうか。
1997年いわゆる京都議定書が採択される。
地球温暖化防止のための国際会議(気候変動枠組条約締約国会議)における国際協定の大枠が決まった。
京都議定書では参加各国に対しての要求は以下の通り。
対象ガスは、CO2、CH4、N2O、HFCs、PFCs、SF6の6種類。
これらの温室効果ガスを2008年から2012年の間に1990年レベルよりも約5%削減することが目標値。
難しいことはわからない。
いずれにしてもこの国際会議の第1回開催は1995年のベルリンである。
だから地球規模の温暖化防止へ向けての動きはまだ10年足らずの歴史でしかない。
そんな歴史の浅い問題ではあるが、着実にその実現に向けた動きは世界的な広がりを見せている。
夏至のこの日あえて意図的に映画「デイ・アフター・トゥモロー」を見た。
これも地球温暖化をテーマにした作品だからだ。
内容的には地球温暖化が気象異常を引き起こし天変地異に繋がるという設定だった。
しかし地球規模の気候の変化により、ついには北半球が氷河期に舞い戻るという話はやや性急過ぎた。
映画自体は最終的には環境問題そっちのけで親子の絆が描かれていく。
最後はいかにも「インデペンデンス・デイ」のローランド・エメリッヒらしいアメリカ万歳で終わる。
この映画を見て地球温暖化問題について考えるというのもいまいちピンとこないがきっかけにはなる。
モーニング娘。はこの週末のイベントで幕張メッセに6万人の観客を集めた。
「モーニング娘。“熱っちぃ地球を冷ますんだっ。”文化祭2004」と題されたイベントだった。
地球温暖化防止キャンペーンの一環として「環のくらし応援団」に名を連ねたモーニング娘。だ。
母体であるハロー!プロジェクト全体でも来年に迫った愛知万博「愛・地球博」に協賛している。
いずれも地球規模の環境問題に真剣に取り組もうという姿勢ではある。
その会場である幕張メッセでは広大な展示スペースを使って冷房ガンガンの状態が続く。
外は台風の影響で猛暑さながらの気候だったし、まずは快適な環境で楽しく環境問題を知る。
それも一理ある。
先日のモーニング娘。のミュージカルでも語られた文明の恩恵なしでは生きられない現代社会のひずみ。
ライブのときにはここぞとばかりにファンが手に手にサイリュウムやペンライトをもっての応援。
グッズショップではエコロジーと称して、様々な抱き合わせ商品が並ぶ。
そこではまさに群れるようにして押し寄せるファンたちが湯水のように大枚をばら撒いていく。
この日の幕張のステージでもモーニング娘。のメンバーたちが声高に環境問題を訴える。
時には直接のメッセージとして、時にはコントの一場面として…。
でも本当にここでエコロジーなるものを真剣に考えていたファンは自分も含めてほとんどいない。
人気者を総動員しての地球温暖化防止の呼びかけはもちろんそれなりの効果はあるだろう。
だからといってそこに集まったファンがどれだけその答えを各自持ち帰ってくれたかは未知数だ。
まずは考えることから始めようというのが共通の認識である。
自分たちに何が出来るか分からないけれど、今出来ることを考えてそれを行動に移す。
その先にあるものがやはり閉ざされた未来なのか、明るく希望に満ちた未来なのかは分からない。
映画の中で描かれた劇的に進む地球の氷河期化の映像には正直あまりリアリティはない。
まさかそんなことが起こるはずがないというのが常識的な認識だろう。
その一方でこんな場面がある。
氷河期に絶滅したと思われるマンモスのことが語られる。
その発掘調査の中で胃の中にほとんど未消化のままの食物が発見されたという。
推測するとあの巨大なマンモスが一瞬のうちに凍りつくような事象があったことになる。
未来は誰も知らない。
だから今出来ることをやるしかない。
台風の直撃で陽射しの恩恵をほとんど受けなかった夏至の今日。
少しでも地球温暖化のことを考えることができたならば…。
それはそれで今回の一連のイベントや映画も正解だったのかもしれない。
|